成田空港に到着。
東京の温度が14度という機内アナウンスを聞いて、暖かいなと感じています。
ゲンティンハイランドは、山頂ということもあり、マレーシアのなかでは珍しく肌寒いエリアです。
霧がかっていましたが気温は17度。
そういった意味では今日の東京とさほど差はないのかもしれません。
思い出せば年末、日本を出発する頃に銀杏並木を見たことに違和感を感じていたと記憶しています。
全体を通して、日本は暖かいのかもしれませんね?
仁川は氷点下の世界でしたしね。
よくサンダルで向かったな…と、振り返って思います。
旅のなかでテキサスホールデムを遊んだのは、元旦のシアヌークビルだけでした。てらこ杯オンラインを終えてから、ちいちいと一緒に1-1のキャッシュテーブルに座っただけ。
カジノをめぐってわかったことは、そこまでポーカーをプレイすることに執着してないんだなということ。
なんですけどね、昨夜の晩餐会での再会で少し考え方が変わってます。
クアラルンプールで米倉夫妻と再会しました。かれこれ7年ぶりくらい。
夫妻がクアラルンプールに移住する前、私はしばしば彼らと一晩中、リングゲームを遊んでいました。
ひたすら、ポーカーしていたわけです。
ゲーム中は、お互いのことを特に知らず、ただただポーカーという共通言語での繋がりでしかありませんでした。
彼らが移住してからは、私自身の生活環境の変化もあって夜通しでリングゲームする機会も減りました。
再会のなかで、
「てらこさんはポーカー強いんだから、もっとプレイヤーとして活動したほうがいい」
米さんの奥さん劉さんに言われました。
彼女と私は1つ違いのほぼ同期。
夜な夜な遊んでいた私のプレイや言動のインパクトが強かったと当時のことを鮮明に語ってくれていました。
一方で米さんは、カジノ王の異名を持つバカラの達人。あまりに勝ちすぎてカジノ側からVIP出禁通告を受けたこともあるそうです。
そんな彼はポーカー始めて半年でWSOP メインに出たそうです。
Day3までは残ったと言ってました。プロプレイヤーを何人も飛ばして、途中テーブルでチップリーダーになるほど勢いがあったそうです。
ところがちょっとしたアクシデントでティルトモードに入り、チップの山は一気に雪崩くずれてしまったそうです。
「勝負には運もつきものだからな」
バカラの話とあわせて聞いて感じたことはバンクロールの大切さ。
経営や投資にも、この考え方は共通しています。
去年あたりから薄々、このことには気がついていて、仕込みを続けています。まだ花開いてはいませんが、確実にビジョンへと近づいているという手応えのようなものは掴んでいます。
だからこそポーカーの世界で、それを証明していきたいという気持ちがいっぱいなんです。
このブログを成田空港で更新しています。
明日は、コナポケてらこ杯
明後日は、ガットショットでカニまつり
いずれも、てらこ主催のポーカーイベントです。
旅帰りのてらこに逢いに来ませんか?
きっと、壮大なプロジェクトを遂行するためには、貴方の力が必要なんです。
ポーカーしながら語れる時間、良かったら作ってください。てらこからのお願いです!
カードは、いっぱい用意しておきますから…ねっ。